世界情勢が大きく変化している中、人口10億人のインドは中国とともに、今後の世界の政治のゆくえ、経済発展などで中心的役割を果たすひとつといっていいだろう。colors BOOKS「白熱教室」は、『インド人はなぜ頭が良いのか』の著者である林明さんと、『ガンディー 魂の言葉』の翻訳者の一人である豊田雅人さんの対談を通して21世紀のガンディーに関して考えていきたい。
『インド人はなぜ頭が良いのか インド式教育その強さと秘密』
林明、佐藤博美・著\450・kindle版(colors BOOKS)⇒特設ページ
林 明●1960年生まれ。1983年東京大学文学部東洋史学科卒業。1994年同大学院人文科学研究科東洋史学専攻博士課程単位取得退学。1994年博士(文学)。1987年~1988年デリー大学留学。1990年~1993年外務省専門調査員(在スリランカ日本大使館)。1995年弘前大学人文学部講師。現在、弘前大学人文学部准教授。インドのマハートマ・ガンディー及びジャヤプラカーシュ・ナーラーヤンの思想・運動とスリランカの民族問題に関心がある。
豊田 雅人●1968年生まれ。1993年専門学校アジア・アフリカ語学院(インド語科)卒業。2004年法政大学文学部史学科卒業。2010年立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科博士前期課程修了。現在翻訳業のかたわら立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科博士後期課程在学中。インド問題での関心はガンディーの非暴力主義の日本での有効性。そして現在の研究領域での関心は戦後日本の専業主婦の労働意識についてである。
「21世紀に、ガンディーを考える」の第1回は、お二人のガンディーを知ったきっかけからお話していただきました。
CB:では、まず最初におふたりがガンディーを知ることになったきっかけからお話いただけますか。
豊田:ガンデイーそのものを知ったのは、1982年に制作されたリチャード・アッテンボロー監督の映画『ガンディー』(1983年の日本公開時の邦題は『ガンジー』)ですね。高校生の時ですが、映画館で上映された時ではなく少し後にテレビでやったのを見ました。もちろんガンディーという人がいるというのは、世界偉人伝のようなレベルで知ってはいたけれども、彼の全生涯をきちんと把握できたのはあの映画が最初でした。
林:私は、映画は上映時に見ていますが、ガンディーを知ったきっかけはもう少し前、大学1年の夏休みだから1979年ごろかな。そのころ通っていた東大では、当時は5人しか女性の先生がいなくて、純粋に好奇心から授業を聞いてみたんです。長崎先生という方だったのですが、その授業の中で、『今夜、自由を』という本を薦めていたんです。それが何だか印象に残っていて、夏休みに近所の中野図書館の書棚でふと見かけて、取り上げて読んでみたんです。それにビビッと感動してしまったのがきっかけですね。この本は、ガンディーの生涯を描いたものではなく、インド独立前後の様子をガンディーを中心に描いているものです。その中で「カルカッタの奇跡」のことが書かれていますが、これはパキスタンとインドの国境地帯での殺し合いに心を痛めたガンディーがカルカッタで断食を敢行するという運動なのですが、彼の命が危なくなると両陣営とも武器を置き始めるんです。たとえ英国が5万人の軍を送っても微動だすらしないのに、「たったひとりの行動が、多くの人の心を動かし、それが大きくなっていく」ということに感動しました。このような運動は、小規模なものはあったかもしれないけれども、「カルカッタの奇跡」のような世界史に残るような規模のものはこれ以前にはなかったはずです。これは後の、キング牧師、ネルソン・マンデラらの行動にもつながっていく。マンデラは、南アフリカで反アパルトヘイト運動のさなか収監されていた監獄内で白人看守とも心つなぎ合わせることができました。
豊田:僕は、そのような「人の心を動かす」という観点からすると、ガンディーとはまったく違う分野ですが、シモーヌ・ヴェイユというフランスの哲学者を思い出します。2人につながりはないのですが、ほぼ同時代の人で、彼女の場合は、断食運動をして本当に死んでしまうんですよ。彼女は、第二次大戦時、イギリスに亡命後、ナチ占領下のフランスでのレジスタンス運動に共鳴し、フランス人がフランス本国で受け取る配給品と同じカロリーのものしか食べないという姿勢を貫き、さらに結核になってからは食事そのものを拒否してヴェイユは餓死してしまうんです。その頑固さ、そして人の痛みがわかる共感力はガンディーに通じるところがあるのではないでしょうか。『重力と恩寵』が主著になりますかね。
林:ガンディーにとっても、「共感力」というのは重要なテーマで、自伝を読むと、彼は「英国でインドを発見した」と言うんですよ。キリストの山上の垂訓に「右のほっぺたを打たれたら左を出せ」という一説がありますが、ガンディーは、それを若い頃イギリスに留学していた時の読書会で読むうちにインドに、「梵我一如」という同じ価値観があるということに気づくんです。この言葉は、実は自分と宇宙は同じ原理でつながっているということですが、これが、他の人の苦しみは自分の痛みと知るべしというキリストの山上の垂訓と同じだということを発見する。しかし、ガンディーがさらにすごいのは、こういう「梵我一如」といういわば哲学上の思想を、実際の社会活動で実践するというところです。こんなスケールの大きい人物はいない。
豊田:彼の社会運動のきっかけは、1919年4月13日の「アムリットサルの大虐殺」ですかね。映画でも描かれていましたが、ダイヤー将軍率いる小隊の非武装市民への発砲は、もっとも命中率の高いものとされているようです。
林:ガンディーはそれをうけて、1920年から本格的な反英運動に乗り出すんですよね。そして、それが10年後、1930年の第2次反英運動の象徴ともいえる「塩の行進」につながっていく。実は、その行進のゴールであるダンディーの海岸への到着は、豊田さんのお話した「アムリットサルの大虐殺」の日のちょうど11年後、4月13日が予定されていました。実際は4月5日になりましたが。ガンディーは、そういうドラマを作るのが得意な人でしたね。自分の闘争自体をドラマに仕立ててしまう。運動を演劇に見立てている。日本では、運動というと、何だか「歯を食いしばって」とかなるけれども、「塩の行進」には、何だかうきうきするものがあったようです。彼が行進した400Kmの距離なんて、列車で行けばたいした距離ではないのにわざわざ歩いて行進していく。スタート時の78人が、その過程で何万人にも膨れ上がる。その道中に、ここに場所ではこんな話をしたというようなエピソードを新聞でどんどん流すんですね。
豊田:全体の画を描くのがうまい。周りのブレーン・スタッフも優秀だったんでしょうね。
林:中でも盟友であるタゴールは、ノーベル文学賞を獲り、音楽、絵画、と幅広い才能がある人ですが、彼とはいろいろなセンスが合ったんでしょうね。ブレーンというよりはフレンドという感じかな。彼が、ガンディーにマハートマという名前を付けたんですよね。また、インドの初代首相になるネルーとの関係も独特です。ネルーは、ガンディーの思想に惹かれつつも心はぐっと近代化の方に向かっていく。ぴたりと同じわけではない。ガンディーは、周りにいろいろな価値観の人間を集めているのが特徴ですよね。決して、ガンディアン(ガンディー主義者)だけでない。普通のブレーン作りの考え方とは違う。
豊田:異分子をあえて抱えるような気さえしますね。
林:それは彼の寛容性からではないでしょうか。ガンディーは、「様々な宗教があるが、それらは皆同一の地点に集まり通ずる様々な道である。同じ目的地に到達する限り、我々がそれぞれ異なった道をたどろうと構わないではないか」という言葉を残しています。私が、この言葉から連想するのは、作家・遠藤周作の『深い河』という小説です。この言葉は、『深い河』の中の登場人物の大津が好きな言葉になっています。遠藤周作はずっと聖書におけるキリストの「私を通らなければ真理には到達しない」という言葉に悩んでいた。遠藤はクリスチャンの家に生まれながらも、日本のいろいろな習慣を見ていて、キリスト教の一元的な物の見方に違和感を感じていたんでしょうね。
豊田:インドにおける、一種のコミューンで、精神修行の場でもある「アーシュラム」では、「ライオンと山羊が一緒の水を飲むのが理想だ」という言葉もありますよね。強者と弱者が共存できる社会。そうでなければ、ライオンにとっては、山羊は単なるエサにすぎませんからね。
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